「自由を感じる」には慣れが必要。自分の自由を自分で潰していませんか?

こんにちは、伊勢えりこです。

 

皆様はおうちで自由を感じられること・・・なにかありますか?

 

一時期、私は「豊かさ」というものについて考えていた時があり、私が考える「豊かさ」の中で特にフォーカスしたいものが、「好きな時に、好きな場所で、好きな事をできること」 というものでした。

すなわち、経済的・精神的・時間的な余裕があること・・・が、「自由」へと繋がり、そこに私は豊かさを感じるのです。

 

「自由」という言葉については、他者から見ていると、世界中を旅しているような、肉体的に自由なかたを見るとそれをすごく感じやすいのですが、実は自分の中にある「自由」というものは、精神的なもののような気がします。

 精神的な自由を自分が感じられるのであれば、場所は海外だろうと自宅だろうと大差ない話なのです。

 

私がお気に入りの「おうちで出来る豊かさを感じること」というのが、

「昼間からお風呂にはいること」と、「昼間からお酒を飲むこと」です。

 

お風呂もお酒も仕事終わりの夜にいただくもの・・・という日常のなかで、太陽がのぼっている昼のうちにそれをするというのは、非日常感があり、そしてとても自由な感じがするのです。

(皆が働いている時間にお酒を飲む背徳感と至福・・・あれはなんなのでしょうね。大好きです。(笑))

f:id:ametsuchi-gohan:20180608234323j:plain

 

「昼にお風呂にはいる」

「昼にお酒を飲む」

ただこれだけのことなのですが、実は私にはそのささやかな自由さえ自らつぶしてしまいそうな経験をしたことがあります。

 

 よく晴れた平日に、とくにすることもなく、家でぼーっとしておりました。

ぼーっと内観しながら、「いまなにがしたい?」と自分に問うたところ、「あ、お風呂にはいりたいかも」と思ったのです。おそらく、13:00頃。

 

その「お風呂にはいりたい」という自分の願望を見つけた直後に、次に私の思考で浮かんできたこと。

それが、

  「でもこんな時間にお風呂にはいってどうするんだろう」

 でした。

 

その後立て続けに頭に浮かぶことばたち。

 「まだ昼だよ」

 「午後の予定も未定なんだから、いまお風呂はいったらあとで外に出る(かもしれない)時に、出たくなくなるかもよ」

 「いまはいったら夜のお風呂にははいるのかな」

 ・・・といったかんじ。

 

そこでようやく、はっと気が付いたんです。

 

「やりたいことを、やりたいときに、やりたい場所でやっているひと」に対して自由を感じ、豊かだと思い、そう在りたいと思う自分がいるのに、

 「平日の昼間に意味もなくお風呂にはいりたい」というささやかな欲求すら満たしてあげないというのは、どういうことなのか・・・と。

 

そんなの全然自由じゃない。

 

もう目が覚めたように、すぐにお風呂に行きました。

  

もっともっと自分を自由にしてあげたいと思い、お風呂のあとにはワインを飲むことにしました。

 

特にサラリーマンやOLのかたなどは、決められた時間に決められた場所に行き、(ほぼ)定例の仕事をこなす、ルーティーンワークにかなり慣れてしまって、こころでは「自由になりたい」と思うことがあっても、いまできる自由に気が付かなかったり、あるいは私のようにみずから芽を摘んでしまうようなことを無意識にしてしまう可能性があるのではないか、と思うのです。

 

だからこそ、どんなに小さなことでも、気が付いたからには自分のささやかな望みに応えてあげる。

こうして「自由」というものに慣れていく必要があるのではないか・・・と思うのです。

 

場所もお天気も選ばない、自分の自由を感じられること。

ひとつずつ丁寧に向き合い、そして「小さな自由を叶える」を繰り返すことで、自由を自分の一部にしていくことができると考えています。

f:id:ametsuchi-gohan:20180608234422j:plain

お酒と一緒にいただくお料理を考える時間もまた私にとっては楽しいひとときだったりします^^